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カテゴリー「戦争」の1件の記事

2006年8月16日 (水)

靖国神社に行ってきました ~泰緬鉄道について~

Img_2548戦争について普段考える機会があまりないので、 8月15日の小泉首相参拝で揺れる靖国神社を訪れ、私なりに平和を見つめなおしてみることにしました。
何せ靖国神社なので、展示物など全てが「戦争肯定」です。敷地内にある「遊就館」の公式パンフレットには、「(前略)近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊の武勲、御遺徳を顕彰し、英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館の持つ使命であります。(後略)」と記されています。また、本日上映されていたドキュメント映画「私たちは忘れない-感謝と祈りと誇りを-」も、全部は見ませんでしたが、愛国心を培おう的なストーリーで製作されています。(いきなり挿入されているBGMが、XJAPANのFOREVER LOVEだったのには笑ってしまいました。小泉首相に配慮??) 確かに、日本の首相が終戦記念日に公式参拝すれば、アジア諸国がなぜ反感を示すかを如実に知ることができました。
とにかく、この靖国神社はいろいろな面から戦争について考えさせられますよ。

と言っても、史実に詳しくないので、やっぱり私なりには鉄道関係で攻めて!?みることにしました。

■泰緬鉄道 ノンプラドック(ビルマ)-タンピュヤザ(タイ) 414.96km

1942年3月、日本軍はビルマの首都ラングーンを占拠し、5月にはビルマ方面主要作戦が終了されるも戦局は悪化、シンガポールからマレー海峡を通りビルマに至る海上補給ルートが絶たれつつありました。そこで大本営は6月に急遽、タイからの既設鉄道線から分岐して、ビルマ方面軍への物資輸送確保のための鉄道を建設することを決断しました。
何せいきなりの決断であり早急に建設する必要があったため、慌てて偵察機を飛ばして航空写真を撮影し地形図を作成しました。しかし実地測量の地形図もなく、ジャングルに覆われ複雑な地形であり、また、過去にイギリスが鉄道敷設を断念した経緯もあるこの地域で、鉄道を敷設することは無謀以外の何ものでもありません。途中、ヒントクやチョンカイの切り通し、「戦場にかける橋」のモデルにもなったクワイ河橋梁(メクロン永久橋)など、現在の建設技術を持っても難所と呼ばれるポイントが多数点在していたためです。その上、大本営は逼迫した戦局から16ヶ月での完成命令を出したのです。一概に比較はできませんが、最近開業した「つくばエクスプレス(秋葉原-つくば 58.3km)」は、1993年に工事施行認可されてから開業までに12年を要しています。このことを考えても、「415kmを16ヶ月で作れ」というのがどれほどのことだったかがうかがい知れます。
かくして日本軍12,000人、連合国軍捕虜62,000人、ビルマや中国、タイなどから半ば強制的に徴用されたロームシャ(現地でもこう呼ばれたそうです。)200,000人とも300,000人とも言われる人々が携わり、昼夜を問わず劣悪な環境下で敷設工事を敢行しました。もちろん食料不足の中では労働者の栄養状態は悪く、この地方特有の雨季などの気象条件も重なり、コレラやマラリアが蔓延、数は定かではありませんが約半数の方々が亡くなったとされています。このため泰緬鉄道は、別名「死の鉄道」とも呼ばれたそうです。
そして1943年10月、どうにか開通にこぎつけたものの、半径100m以下の急曲線(現在の一般鉄道ではあり得ません!!)や、62‰の急勾配(登山鉄道並みです。)を、工作機械や資材が不足する中で作った路盤や橋梁、線路を敷設しての鉄道です。脱線は頻発、谷底へ転落する大事故などもあったようです。しかも、すでにビルマ方面軍は壊滅状態であったため、当初の目的であった物資補給の役割ではなく、ビルマからの日本軍撤退に利用されたそうです。
1945年8月に終戦を迎え、泰緬鉄道のビルマ側はイギリスにより撤去、タイ側のノンプラドック-ターサオ(130.3km)が補修され、タイ国鉄線として引き継がれ現在に至ります。

■泰緬鉄道の生き証人「C56 31」号機

Img_2546靖国神社には、泰緬鉄道開通式で使用されたC56 31が収蔵されています。海外の戦地へ出征していったC56は90輌あり、このうちの1輌だということです。
泰緬鉄道に限らず、鉄道が戦争に大きく加担した事実は否めません。鉄道は本来、人や物資を「安全に」「迅速に」「大量に」運ぶことを目的とした移送・輸送手段であるはずです。それが戦時下では軍の管轄におかれ、大量の戦争物資と兵を戦地へ送り出すことに利用されました。挙句の果てには機関銃や大砲を装備した貨車まで造られる始末で…
なので、今でこそ平和に「でんしゃ♪でんしゃ~♪」と趣味に明け暮れることができますが、こういう悲しい歴史の上に今の鉄道の発展があることを忘れてはなりませんね。

そして、この機関車を見ながらもうひとつ感じたことがあります。それは、靖国神社が「日本のために尊い命を捧げた方々」を神さまとして祀るのであれば、日本の軍人や戦争に関わって亡くなった日本人だけではなく、日本軍に殺された外国人や逆に外国軍に殺された日本の一般人、そして泰緬鉄道建設などのように強制労働などで命を落とした外国の人たち全員の御霊を祀るべきではないかということです。だって、全ての人たちは、靖国神社の謳う「日本の国のため」に亡くなったワケですから。そうすれば、A級戦犯の方が祀られていても、日本の首相が公式参拝しても誰も文句を言わないのではないでしょうか。まあ、一宗教法人である靖国神社の方針なので、周りがとやかく言えたギリではないのかもしれませんが、あからさまに偏った「日本の英雄」目線は何とも言えない重い気持ちになります。
それから、終戦記念日前日の「筑紫哲也のニュース23」に寄せられたメールに、「戦争で亡くなった方の魂は、靖国なんかに行かずに家族の元に帰るのでは??」と言っていた方がいました。まさしくその通りだと思います。死んだからこそ、住み慣れた場所や愛する人たちの傍にいつまでもいたいと思うのは当然ではないでしょうか。靖国に祀られて良かったのではないかと思うのは、今生きている一部の人たちの勝手な解釈でしかないですよね。

戦争について真剣に考えた一日でした。

<参照>
鉄道フアン2005年11月号「激闘!駆上り勾配 その1」 -塚本和也氏-
鉄道フアン2006年1月号「激闘!駆上り勾配 その2」 -塚本和也氏-
泰緬鉄道の光と影の象徴「クワイ河鉄橋」 -山田耕治氏-

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